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学会誕生までの経過
(日本原子力学会誌創刊号、1959年6月30日発行より)
原子力の問題が論議されはじめられたころから、原子力学会を組織しようとする声はたびたびあった。しかし原子力研究の意味する範囲は非常にひろく、すでに従来の学会においてもその立派な研究発表がなされている分野もあるが、一方その重要な部分である原子炉については、その施設もそれについての研究もほとんど行なわれていない状態でもあった。
日本学術会議では、昭和31年に原子力特別委員会が発足して以来、絶えずこの問題について注目をしていたが、わが国における原子力研究がようやく動きだした趨勢により、研究発表討論の場として、とりあえず原子力シンポジウムを設けることを企画した。“第1回原子力シンポジウム”は昭和32年1月に、“第2回”は昭和33年2月に、原子力に関係ある多くの学協会などとの共同で開催され、その提出された論文数も197編、264編という盛大なものであった。
“第3回原子力シンポジウム”は、それまでの2回にわたる経験やその後の発展などを考えて、その募集論文の範囲を原子炉に関連のあるものに限り、また当日読まれる論文の数も適正の程度にしぼったものであったが、本年(昭和34年)2月12、13日の両日、学士会館の3会場で盛大に挙行された。これら3回の原子力シンポジウムの経過、それにあらわれた論文の数と質の成長などをみれば、原子力学会を組織する時期は決して尚早ではないと判断されるに至った。一方日本学術会議原子力特別委員会に設けられた原子力学会検討小委員会(主査東京工業大学武田栄一教授)には、学会創立の時期、当初目標とすべき原子力研究の範囲、その学会活動の方針などについてすでに着々として一応の成案ができつつあった。
○発起人会
原子力特別委員会は昭和33年11月5日に約200名にのぼる原子力学会発起人の方々に参集を求め、その意見を聞いたのであるが、当日の発起人会で は次のことがきめられた。設立趣意書の原案では文意が十分に表現されていないので、一応白紙に戻し、あらためて実行委員でねり直すことになった。実行委員を大学、研究所、産業界からおのおの5名ずつのほか世話人3名の18名ときめて、次のとおり選出した。
(大学関係)京都大学・清水栄氏、東京大学・大山彰氏、斎藤信房氏、橋口隆氏、慶応大学・山下久雄氏、(研究所関係)原子力研究所・杉本朝雄氏、山本寛氏、電力中央研究所・高橋実氏、電気試験所・山田太三郎氏、原子燃料公社・浅田弥平氏、(産業界関係) 原子力発電・一本松珠璣氏、三菱原子力工業・稲生光吉氏、日立製作所・倉田主税氏、東京電力・高井亮太郎氏、日本原子力事業・瀬藤象二氏、 (世話人)大阪大学・伏見康治氏、東京大学・矢木栄氏、東京工業大学・武田栄一氏
第1回実行委員会(11月25日)
第1回実行委員会では次のことがきめられた。実行委員に新たに運輸技術研究所の中田金市氏と日本原子力産業会議の早川淳一氏とを追加し、委員長に矢木栄氏を選出した。定款、財務、事業計画、編集、外部連絡の各検討小委員会を設け、設立のための具体案をとりまとめることになり、それぞれの委員をきめ、第2回実行委員会(12月28日)に結果をもちよることにした。
◯定款案検討小委員会:定款案と設立趣意書等の検討小委員会は第1回を11月28日、第2回を12月8日に開催してほぼ成案をえた。
◯編集関係小委員会:12月10日に開催し、「会誌」発行について大要の方針をきめた。
◯財務と事業計画検討の合同小委員会:12月17日に開催し、初年度事業計画案と収支予算案の大枠をとりきめた。
◯関連学協会との連絡検討の小委員会:11月25日に開催し、国内および外国の関連学協会との連絡先と連絡事務について具体的の範囲をきめた。
第2回実行委員会(12月23日)
各小委員会の検討案がまとまったほか、会名の英訳、支部設置の予定地、会員の範囲、役員の選任方法、理事会・評議員会の運営方法、会誌の編集内容、会費、事務局の設置場所および発起人総会の日取りなどを打合わせた。
第3回実行委員会(1月12日)
事務局を日本原子力研究所内に設置することがきめられたほか、設立趣意書、定款案、内外関連学協会との運絡事項および連絡先、初年度収支予算案、発起人などを決定した。
第4回実行委員会(1月24日)
発起人総代に茅誠司氏の了承をえたほか、企画および編集委員会の運営方法、理事の会務分掌の具体案、発起人総会の内容、社団法人設立許可の内交渉などについて打合わせ、設立についての諸事項がほとんどまとまったので、発起人総会を1月28日に開催することとなった。
発起人総会(1月28日)
発起人総会は学士会館で午後1時から開催し、発起人約80名が集まった。発起人総代には茅誠司氏を推し、実行委員矢木栄氏から設立経過を報告した。ついで定款、設立趣意書、初年度事業計画案、初年度収支予算案を決定、入会申込みのあった正会員と賛助会員362名(社)を承認して創立総会の役員選挙の有権者とした。なお創立総会は2月14日に開催することをきめた。
創立総会(1959年2月14日)
創立総会は学士会館で午後1時から開催し、会員460名が出席した。実行委員矢木栄氏から設立の経過を報告し、議長に実行委員一本松珠璣氏を推し、定款案を承認、社団法人の認可申請のための設立者として茅誠司、矢木栄の両氏の決定、ついで初年度収支予算案、初年度事業計画案を承認、役員選考委員の駒形作次、高井亮太郎、瀬藤象二、山田太三郎、早川淳一、三島徳七、都築正男、木村毅一、大山彰、浅田弥平、一本松珠磯の11氏によって18氏が選ばれ、総会の賛成をえて次のとおり選任された。
会長 茅誠司 東京大学総長
副会長 駒形作次 日本原子力研究所理事長
一本松珠璣 日本原子力発電(株)副社長
理事 伏見康治 大阪大学教授
矢木栄 東京大学教授
武田栄一 東京工業大学教授
斎藤信房 東京大学教授
山田太三郎 電気試験所電力部長
嵯峨根遼吉 日本原子力研究所副理事長
瀬藤象二 日本原子力事業(株)社長
高橋幸三郎 原子燃料公社理事長
稲生光吉 三菱原子力工業(株)常務取締役
正井省三 住友化学工業(株)専務取締役
駒井健一郎 (株)日立製作所専務取締役
前田七之進 富士電機製造(株)常務取締役
島田兵蔵 中国電力(株)社長
監事 大山松次郎 電力中央研究所理事
斎藤三郎 電源開発(株)副総裁
ついで役員を代表して駒形副会長の挨拶ののち、来賓文部大臣橋本竜伍氏、原子力委員会委員石川一郎氏、日本学術会議会長兼重寛九郎氏、日本原子力産業会議副会長大屋敦氏、日本機械学会会長丹羽周夫氏からそれぞれ丁重な祝辞があった。つづいて米国原子力委員会委員 Dr. Willard F. Libby、米国原子力学会会長 Dr. Chauncey Starr、英国原子力公社理事 Sir John Cockcroft、カナダ原 子力公社副社長 Dr. W. B.Lewls、西ドイツ・マッ クス・プランク研究所長 Dr. Otto Hahn 各氏の創立を祝した懇篤なるメッセージが披露されて閉会。
ここに日本原子力学会は多大の支持と期待のうちに力強く誕生したのである。なお発起人総会で承認された設立趣意書は以下のとおりである。
日本原子力学会設立趣意書
科学技術の健全な発達のために学会が果たす重要な役割を今さらくりかえす必要はないと思います。原子力に関する分野でも全く同じで、ここにも学会ができることが早くから関係者の関心事でした。それにもかかわらず、今日まで原子力学会が誕生しなかった主な理由は、第一に原子力を専攻する科学技術者が極めて少なかったこと、第二には原子力に関心をもつ研究者ならびに関連のある科学分野が非常に多 面に亘っていることにあったと思います。しかしながら、昭和 31 年に日本学術会議原子力特別委員会が発足し、昭和32年1月と昭和33年2月との2回にわたり、日本学術会議ならびに30以上の学協会と共催のもとに原子力シンポジウムが開催され、その提出論文数もおのおの197編と264編にのぼりました。さらに昭和34年2月に開催予定の第3回原子力シンポジウム提出論文数も、その範囲を原子炉に関連のあるものに圧縮しましたが、ほぼ同数になっております。この原子力シンポジウムにあらわれた論文の量と質との成長を眺めてみますと、いよいよ原子力学会を組織する時期がきたと感じられます。
今日では原子力を専攻する研究者は相当の数になり日本原子力研究所をはじめ研究施設は順次充実し、また原子力産業も準備時代から実行の段階に入りさらに独自のものを打ち出し得るような時代となりました。このときにあたり、日本学術会議の原子力特別委員会の学会設置のよびかけに応じて、大学、研究機関などの学界と、原子力産業界の有志代表からなる発起人会において、原子力学会創立案が決定されました。
この原子力学会を、原子力の学術の研究の場としてまたわが国原子力開発の力強い背景として意義あらしめたいと思います。